群馬・桐生はなぜ「球都」? 高校野球、産業、駅まで野球愛に溢れる街

群馬 [Gunma]・桐生市 [Kiryu]
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なぜ桐生市は「球都」なのか?高校野球の強豪校、社会人野球の歴史、そして街全体を巻き込む野球文化に迫ります。新桐生駅の野球場化も見逃せない!

私は、最近まで知らなった。。。。

今後も更新、整理していきます。

1. 「球都桐生」とは何か?

群馬県南東部に位置する桐生市は、織物の街として知られてきましたが、もう一つ、地域の人々の誇りとして語られるのが「球都(きゅうと)桐生」という呼び名です。これは、野球が深く根付き、街全体が野球を愛し、支えてきた地域文化を象徴する言葉です。

球都桐生公式Webサイト
群馬県桐生市は、昔から野球が盛んなまちの象徴として【球都(きゅうと)】と呼ばれてきました。2022年より桐生市ではまちの財産である野球を活用し地域を活性化する「球都桐生プロジェクト」をスタート。これからの「球都桐生」にご注目ください。

■ 「球都」という言葉の由来

「球都」という言葉は、桐生市が長年にわたり高校野球、少年野球、社会人野球など幅広いレベルで野球を支えてきたことから生まれたものです。この称号は単なる美称ではなく、地元メディアや住民たちによって自然に使われ、他県からも「桐生は野球の街」として認識されています。歴史的な背景を持つ桐生は、野球文化の発展に寄与した多くの選手や指導者を輩出してきました。

■ 産業とともに歩んだ野球文化

桐生市はかつて織物産業で栄えた工業都市であり、そこで働く人々の間では企業チームによる社会人野球が非常に盛んでした。勤務後や休日に野球を通じて人々が交流し、その結果として才能ある若者たちが次第に育っていくという流れが地域社会の中に自然に形成されてきたのです。こうした野球文化は、桐生の産業基盤と深い関係にあり、地域のアイデンティティともなっています。

2. 桐生市と高校野球の関係

桐生市を「球都」と呼ぶうえで欠かせない存在が、地元高校野球の強豪校たちです。特に注目されるのが、群馬県代表として何度も甲子園に出場している**桐生第一高校(桐一)**をはじめとする地元校の活躍です。この章では、桐生市の高校野球の歴史と地域への影響を詳しく掘り下げます。


■ 桐生第一高校の功績

桐生第一高校は、群馬県内でも随一の実力校として知られ、1999年の春の選抜大会(センバツ)ではなんと全国優勝を果たしています。これは群馬県勢として初の快挙であり、当時の地元の盛り上がりは今も語り継がれています。

主な成績(一部抜粋):

  • 1999年春:選抜優勝(決勝で沖縄尚学を破る)
  • 2002年以降:夏の甲子園にも複数回出場
  • 群馬大会でも常に上位を争う強豪校


■ 他の地元校の活躍

桐生には桐生高校、桐生南高校、桐生工業高校などの伝統校も存在しており、それぞれが地域に根付いた野球部活動を展開しています。

たとえば、桐生高校は公立の進学校ながら、毎年粘り強い試合を見せ、桐生第一とはまた違った魅力を持つ「文武両道」のチームとして応援されています。戦前から昭和にかけて、桐生高校は春と夏の甲子園に26回出場し、県内最多出場記録を誇る

その他

新桐生駅

「球都桐生」として知られる群馬県桐生市は、このほど東武鉄道と協力し、同市が推進する公民連携事業「球都桐生プロジェクト」の一環として、新桐生駅の2番線ホームを“野球場”さながらのデザインにリニューアルした

【公式】球都桐生
・群馬県桐生市発「球都(きゅうと)桐生」公式アカウント・「野球×地域活性化」を目指す公民連携事業「球都桐生プロジェクト」の発信

球都桐生の玄関口、東武新桐生駅が“球場化”で大変身!